opa & oma

ヘンリーの両親がノースカロライナからやってきて1週間滞在していた。実際行きの飛行機がキャンセルされて1日遅れて6日間の短い滞在だった。数回ディナーを一緒に食べ、日曜日には天気もよかったので公共交通機関でいける小さめのビーチを探して海に行ってきた。Egmond aan zeeはアルクマールからバスで1本。日本では車以外でビーチに行ったことがなかったので乗り換えなんて面倒くさいと思っていたが、こんなビーチ日和には車は超込みなので公共交通機関の方が便利だ。ベビーカーにパスカルを乗せて私がピアを胸にくっつけて出かけ、着いてまずは昼食を食べる。ビーチのレストランに何の期待もしていなかったが、頼んだサラダはセンスがよくおいしかった。パスカルはその間お昼寝をし、ピアはいつもどうりぐっすり眠っていた。

泥遊びや砂遊びが嫌いなパスカルだが、スコップを持たせるとやる気になるのが分かった。砂山から片手で器用に砂をすくってまき散らし、反対のきれいな手でクッキーを食べる、、、性格が表れてます。私はビーチはあんまり好きではないのでもちろん水着などは持ってきてなくて、ピアをつけたまま散歩していただけだった。

ピアをバギーにおろして様子を見てみたが大泣きになったので抱っこし続けることになった。ピアはまだ小さいのでどこでも注目の的になるのだが、いつも決まって「髪の毛が多いね〜!」とコメントされる。数週間で髪が少し伸びで更にボリュームが出たので驚かれるのもしょうがない。将来従兄弟のステラみたいにくるふわになること間違いなし。

砂でしつこく遊んだあとパスカルを移動遊園地に連れて行く。パスンは動き物は苦手だったがパパが一緒に乗ってくれてたせいかうれしそう。特にメリーゴーランドでは積極的にパトロールカーを選び、終わったあとではまだ乗りたいと言ってみんなが振り向くような大声で泣き叫んでいた。代わりに観覧車にオマとも一緒にのるが、まだ観覧車の楽しみはわかっていないようだった。

このトリップのおかげでパスカルはオランダ語でのおじいちゃん、おばあちゃんの意味であるopaとomaを覚えたのだが、必ずおじいちゃんにomaといい、おばあちゃんにopaと言う。何回教えても間違えるのでわかって言ってるのか?というほど。

ピンクまみれ

ぴあが着ている服全てが友達からお祝いにいただいたもの。女の子はやっぱりピンクだね。

子供の成長

ピアが生まれて3週間がたった。彼女の生活は飲んで寝ることの繰り返しだけど寝る時はだっこでないと寝なくなった。パスカルもそうだったな〜と思い出しながら4kgくらいのピアをErgobaby の赤ちゃん用寝袋につつみ胸にくっつけながらパスカルに本を読んだり器用に料理をしたりしている。家ではヘンリーがパスカルを主に面倒見て私がピアの面倒をみているが、今週ヘンリーが出張で4日間家を空けるのでどうなることかヒヤヒヤしている。買物もヘンリーに頼むかパスカルが託児所の時に済ますのだが、重くて4日分の食材を一気に買えないのでどうやって買物するか考えものである。こんなときネットで食材を注文したりデリバリーを利用すればいいのにと思うのだが、こんな時こそ自分のやらないと気が済まないところもあるようだ。みんなしてるんだ、私もできるはず。

ヘンリーと手分けして子供の面倒をみていると客観的になるので子供の成長もよく見えて来る。兄のパスカルは赤ちゃん返りするどころか日に日にピアを受け入れているようだ。「う〜まっ」と言いながらパスカル得意の口を尖らせたキスをしてあげたり、出来上がったレゴの機関車を「ちゅーちゅートレ〜ン」と何回も言いながらみせてあげたり、頭をなでに何回も走りよってきたり。一人遊びも、一人であそばないといけないことが多くなったのでしかたなしに、長くなりいつもは「ぶっくう〜」と本を持って走ってきて私たちに読むようにせがむのだが、私が出来ないと言うと自分でページをめっくていることも多くなった。レゴでつくれるものの種類も多くなったし(トラックが主流だったのが飛行機、機関車、はしご車などもつくれるようになった)言葉も意識して教えたつもりでないものもいつの間にか覚えてるし、、兄弟ができると必然的に自立するのか、ただ私が忙しいから成長が早く思えるだけなのか。これだけははっきりしている:最近ピアばっかり抱っこしているからパスカルをだっこすると異常に重い気がしていたが、ヘンリーが測ったところパスカルは実際大きく重くなっているようだ。

親友の結婚式が6月11日金曜日にあることは何ヶ月も前からわかっていたが、出産が近いので出席できるかどうかはずっと返事できないでいた。でもとりあえず出席ということにして無理なら後でキャンセルするという形で返事をしておいて、様子をみていた。なので予定日過ぎたあたりから母親も帰るし友達の結婚式にも出れなくなるという二重の焦りがあった。

しかし2度目の出産は超楽だったのでぴあが生まれてから1週間で外に出たり友達の誕生日会に行ったりすることができた。それなら結婚式も大丈夫だろうということで車をレンタルして国境に近いMaastricht付近の田舎町でのパーティーに出向いたのだった。彼らの式はEindhovenの市役所で行われ午後にその田舎町でバーベキューパーティーをするという企画だった。その田舎の家で宿泊もできるし静かだし貸し切りなので気を使うこともない。

金曜日の昼ごろ車の準備が整い家を出た。パーティーは5時からなので途中で止まったりしても十分時間があるはずだった。しかしアムステルダムでウェディングギフトを買ってP2(ピア)のおむつを替えておっぱいをやってるとすぐに2時になってしまった。すぐに高速に乗って200km先の目的地を目指した。ところが15分くらい運転したあたりですでに渋滞。。。金曜日の午後早い時間になんでこんな渋滞がおきるのかわからない。この渋滞は30Kmくらい先まで続いた。そんなときに限って子供がぐずついたり泣き出したりする。特にP1(パスカル)は歯が生えかかっているから機嫌が超悪い。窓から見えるショベルカーやタンクローリーなどの特別な車を見るとちょっとは機嫌がよくなるが、すぐに足をバタバタさせたりヒステリックに泣き出したりして私たちをイライラさせた。渋滞が終わる頃高速の道路工事が渋滞を起こしていることがわかった。オランダの高速道路はなぜかいつも工事している。渋滞を巻き起こすほどの工事ならしないほうがましだと思うんだけど。。。

そして5時にやっと目的地に到着した。アムスでは曇り空で野外のバーベキューのことを心配していたのだが、オランダの南は晴天だった。まず宿泊する部屋に荷物を運ぶとピアの為に用意されたプレゼントを見つけた。

中身は新婦のベンテが作った赤ちゃん用の毛布だった。フリース素材で周りには赤ちゃんが遊べるようにリボンがついている。ベンテはテキスタイルのデザイナーだからそのへんのセンスは抜群。ラッピングもかわいくて開けるのがもったいないくらいだった。

オランダで結婚パーティーに何回か出席したがこのパーティーはとってもオランダっぽかった。バーベキューがメインのディナーだが参加者も自分の自慢の料理を持ってきて、ギフトの指定も何もなく、新郎新婦もウェディングドレスではなくこざっぱりした洋服を着ていた。持ち寄りの料理が美味しかったのでお酒が飲めない私は何回もおかわりして食べ物を楽しんだ。デザートは他の出席者が用意したチョコレートフォンデユで、ディナーが何も食べれなかったP1もデザートのフィンガービスケットのチョコレートなしをようやく2本食べた。パーティーは3時ごろまで続いたらしく、私とP2はおっぱいを飲ませに寝室に帰ったところで記憶がなくなった。

翌日私たちは早くから起きて朝食をゆっくり食べた。歯痛もましになったのかP1も機嫌良く大人と遊んでいる。ここに来ている参加者の多くは小さな子供を持つ親であり、皆子供をおばあちゃんのところに預けてきたということだった。P1が他の大人の人に遊んでもらっているのを見ながら、子供がいろんな経験できるなら私たちがちょっと大変でも子供達を連れてくる方がいいよな、と思ったのだった。

土曜日で車もあるしもうちょっと遊ぼうということでここから40分のMaastrichitというオランダ最南の街でもう1泊することにした。幸いベビー用品も多めに持ってきているし。オランダに住んでもう10年になるけどMaastrichtに行くのはこれで2回目。オランダの街といってもほとんどベルギーのようなもので、食べ物や街の雰囲気が全然ちがうから外国に来たような気になるのだった。ガタガタの石畳をバギーを押しながらゆっくり散歩し、食べて遊んで散策を楽しんだ。ホテルでも野外でもP1用に持ってきておいたボールとミニカーは多いに役立った。

次の日は昼にMaastrichtを出発し、アムステルダムあたりに2時には到着したのでもうちょっと足をのばしてZaanse Schansに寄った。私もヘンリーもオランダにいながらオランダの観光地に興味がないのでオランダ村的なZaanse Schansに行ったことはもちろんないのだが、P1が喜ぶかもということで今回はじめて行く気になったのだった。Zaanse Schans自体は結構小さくて風車にひとつ登ったらそれで終わり、、って感じなんだけど、Zaanse Schansの川向こうのオランダらしい住宅街をみたり、橋の側のビーチのようなカフェで食べたり、子供用の遊び道具でたのしんだりしているうちに結構な時間になってしまった。子供が行きたいというまでここには来ないと思うけどアムスから30kmくらいで子供が遊べる場所があるのは便利なことだ。

ゲームをしてる大人にちょっかいを出すP1

Pia 怜 Cutler誕生!

2010年5月28日13時56分、 3770gの大きめの女の子Piaがアムステルダムのセントルカス病院で生まれた。クリクリの髪の毛と更に高い鼻以外は兄のパスカルにそっくり!左目の上にある痣さえ同じだ。ただパスカルのお古の水色の洋服着せても女の子に見えるところがやっぱり女の子。

Piaがこの世に誕生して1週間たつが、彼女はよく飲み、よく眠りのリズムが出来上がってきている。あんまり良く寝るので時々息をしているか確かめるくらい。。。1日50g増えながら着々とこの世に順応している。

Piaの出産は予定より8日遅れた。理由はしらないが日本では2番目は早く生まれるというから、自分の誕生日(5月11日)前から同じ誕生日にならないかとそわそわしていていたので、5月20日の予定より8日遅れただけなのにすごく待たされた気がする。特に母親が予定日前から来ていたので、予定日を過ぎると母親が帰る前に生まれるんだろうかという心配がでてきた。しかしオランダでは初めの出産が遅れると2番目も遅れるといわれているらしい。というのは、お腹で胎児が十分育つのにそれだけ時間がかかるということなので、1回目も2回目も同じくらいの日数かかるということらしい。

なので予定日を過ぎてからの検診の時にすぐに病院で胎盤の検査をするようにお願いした。ミッドワイフも母親がもうすぐ帰るというあせりを理解してくれてその日に病院に行けるようアレンジしてくれた。なんでも待たされるオランダでこんなに早く予約が取れたのは日本人経営の美容室の予約以外はじめてかも(笑)病院では時間通りについてもかなり待たされて(やっぱり、、)胎児の心音チェックを1時間もして、その後に医者に診察してもらった。初めての内診もうけて、子宮口が3、4cm開いていて子宮も十分柔らかくなっているので、お母さんに赤ちゃんを見せたいなら明日ミッドワイフに破水してもらいましょうということで話がついた。

診察が終わってからしばらくは内診のために陣痛のようないたみが続いた。行きはバックフィッツ(箱付き自転車)の後部座席に座ってヘンリーと二人乗りしてきたのだが、帰りは振動の少ない箱の中に座って帰ってきた。しかし寝る前には痛みが消えていたのでちょっとがっかりしてしまった。

今では兄になったパスカルにもいろいろあった。まず初めての水疱瘡にかかった。多分母がアムステルダムに到着した頃にすでに感染していたのであろう、次の週にお腹にぷつぷつが現れはじめ、その週に行ったの託児所では子供全員が水疱瘡になっていたので、私たちもやっとパスカルのぷつぷつが何なのかがわかったのだった。水疱瘡ははやくかかる程症状が軽くですむのでオランダでは水疱瘡を軽い病気のようにとらえていて、元気であれば託児所につれていくようだ。なので託児所の子供全員水疱瘡になるようなことがおこるわけだけど、水疱瘡の子供を託児に預けるなんて日本では考えられないことだ。水疱瘡の予防注射をするところだってあるくらいなのに、オランダってその辺超ナチュラル思考。

私たちが心音をチェックしに病院に行った日パスカルは水疱瘡の絶頂期だったので、託児所を休んで母と家でおとなしく過ごしていた。その夜パスカルは熱のせいで寝られなかったようで、私もヘンリーもねむることができなかった。なので破水するのをもう一日待った方がいいだろうと朝話していたところ、9時頃から陣痛のような痛みが定期的に感じられるようになった。10時に時間をはかってみたところ、きっちり7分ごとに陣痛がきている。すぐにミッドワイフに電話して指示をあおぐ。暖かいシャワーをあびて陣痛が早くなるか遅くなるか様子を見るように言われる。20分かけてシャワーを浴び時間をはかったところすでに3分おきになっている。あわてて遊びに出ているパスカルとヘンリーを呼び寄せて、パスカル用のDVDをセットしたり母に留守中の注意ごとを説明をしてタクシーを呼ぶ。パスカルにばれないようにそっと家を出てゆっくり3F分の階段を下りきったところでタクシー到着。病院に着いたのは12時半だった。

病院で出産といっても、病院の中にある出産センターの中の部屋を借りてミッドワイフの指示をうけながら出産するわけである。もし医療が必要な状況になったらすぐに医者と交代すると言う仕組みである。パスカルの時は羊水が汚れていたので医者の指示の下で出産となったが、今回人工破水で羊水も透明だったのでそのままミッドワイフが出産をみることになった。破水の後しばらくして暖かい風呂に入るように勧められる。風呂につかってるとすぐに痛みがいきみの痛みにかわってきたので風呂から出ていきむことになった。陣痛の波をみながら2、3回いきんでみてこれはすぐに出てきそうだと感じた。陣痛を待っている間、目をとじていると睡魔に襲われそうになり、痛みもないので非常に心地よく、たった3分くらいだけど至福の時を味わった。その後の2、3回の陣痛が弱かったのでいきむのをやめた。

多分5回目のいきみのとき頭がするっとでてきた。さらにいきむようにいわれて続けて3回くらいいきんだところつるっとでてきて、次の瞬間には赤ちゃんがお腹の上にのせられていた。黒いふさふさの髪の毛はパスカルとおなじだったので私たちは驚かなかったが、ミッドワイフやヘルプの人達にはめずらしかったようだ。胎盤もすぐでてきてミッドワイフが広げながら見せてくれた。いつでも捨てれるから写真を撮っとくようにいわれたので一応撮っておいた。赤ちゃんの名前は2週間前から本気で考えていたがいい名前が見つからず、私が絞り出すように考えた名前PIAにほぼ決定していた。病院から軽い食事とシャンペンとオランダのお祝いのビスケット(Beschuit)に女の子用のピンク色のアニスの砂糖がけ(muisjes)をのせた物を食べる。お腹がすいていたのでいつも嫌っていたmuisjesも美味しく感じた。

3時間ほど横になって休んでシャワーも浴び、着替えて帰ろうとして動いたとき大量の出血があり、洋服が汚れてしまったのでヘルプの人を呼んでまた着替えることになった。だけど動く度に出血があり今度は息苦しくなってきたので出血の量を測ることになった。その結果2ℓの出血ということで普通より多いから病院の方に移って検査することになった。周りがざわざわと急ぎながら私の乗っているベットを移動する。私はぼ〜っとしながらなんでこんなに緊急事態みたいに運ばれるのか不安になっていた。着いた第一の部屋で点滴されたり尿道に管をつけられたりお腹をおされたりエコーを撮られたりする最中、看護婦の一人が「手術」と言ったのですかさず何の手術なのか聞き出した。どうやら胎盤の一部がまだ体内に残っているのでそれを取る手術で、切らないし麻酔をするから痛くないということだった。が、その手術の準備で子宮に管をつけられる時点で麻酔なしで手術されてるくらい痛かったが。。。第二の部屋の手術室では皆テキパキと手術の準備をしており、私だけが不安で半泣きになっていたが、麻酔を3回吸い込んだ時点で記憶が消えた。手術が終わって起きて時間をみると20分しか経ってなかった。

やっとヘンリーとぴあの待つ部屋に帰ってきてほっとした。ぴあはヘンリーの胸の上でよく眠っていた。その日ヘンリーは夜中に家に帰らされ、私とぴあは病院に2日間残って安静にしていた。病院生活は最悪、、、看護婦が2時間おきにきてぴあの様子をチェックしにくるから落ち着かないし、私は体勢が悪くてほとんど眠れなかった。食事もこんなんだし。

翌日母とパスカル、ヘンリーが病院に来てご飯を持ってきてくれたのは本当にありがたかった。

2日後の日曜日にやっと退院し家に帰る。私は階段を上ると動悸が激しくなるが痛みも少なく至って健康だった。パスカルはまだ水疱瘡で顔が水玉だったのでぴあに触らせてあげれなかったが、遠くから眺めながら「ベイビーぴあ」と何回も言っていた。

前回の出産もそう感じたが、今回も病院で出産して本当に良かったと思った。この事態が自宅出産中に起こっていたらはしご車と救急車で病院に運ばれることになっていただろう。。。病院の先生にも次に出産する時には必ず病院で生むようにと勧められたが、言われなくても絶対そうすると思ったのだった。

出産は簡単だったけど子供2人との生活は予想以上に大変だ。産後1週間でヘンリーは仕事に戻らないといけないのでぴあを胸に縛り付けてだだっ子になっているパスカルの面倒をみているが、すっと家に籠っているわけにもいかないのでしかたなく産後11日目で自転車にのってお出かけした。。。私も相当オランダ人化したようだ。

皆に送ったe-mail用のイメージ。I amsterdamという市のキャッチフレーズをコピって I amsterdammertje(私はアムステルダムッ子)に言い換えたもの。赤いタオルはアムス市からの贈り物。

おでかけ三昧

広島からパスカルのomaみんみんがアムステルダムにやってきてからずっと夏のような日差しが続いている。ヘンリーもいつも働いている土曜日を空けてくれているので土曜と日曜日に家族で過ごすという普通のことを初めてやった。そこで私たちが出かけたところはHoornにあるStroomtrein museumとwesterparkでのピクニック、近所の公園めぐりなど超子供中心。ヘンリーとomaがパスカルと遊んでくれるので私はかなり楽できた。

Stroomtrein museum (蒸気機関車博物館)ではフェスティバルをやっていて、実際に蒸気機関車にのって駅から駅へ移動し、各駅では蒸気で動く機械のデモンストレーションやコスチュームを着た人を見ることができた。オランダスケールだから小さくて食べ物とかしょぼいんだけど、いい季節に田舎の様子がみれてomaはうれしそうだし、パスカルは汽車という言葉を覚えたし、よかったんじゃないかな。

WesterparkではKunstvlaaiというアートフェスティバルをやっていたので、それを見に行ったついでに公園に寄ったり暑い日には水に入りに行ったりして頻繁に通った。

いつものパパデーにはPとヘンリーはサイクリングに出かけてポテトフライと焼き鳥、アップルパイにリンゴジュースというこってりランチを食べてきてたり。

毎日の遊びでパッツンの食欲は増加し、数日で半キロ増えていた。

パスカル語

オランダの子供とのプロジェクトも終わりなので、ヘンリーと話し合って家庭でずっとオランダ語で喋っていたのを英語に統一することにした。特に夕食時はパスカルが言葉を覚える大事な時間なのでその時は特に英語にしようということになった。

それから数週間のうちにパスカルはどんどん言葉を覚えていて、日本語と英語の両立(+オランダ語)が難しくなりはじめた。もちろん私がパスカルに話す時は絶対日本語なのだが、ひとつの物に対して日本語と英語の名前を教えるのはちょっと難しい。例えば「羊」と日本語で言えばパスカルは理解しているし「sheep」とパパが言っても理解しているのだが、自分で「sheep」と言えても日本語の「ひつじ」を何回教えてもまだいえないでいる。これはどのバイリンガル、トリリンガルの幼児も通る道のようで、それでも負けずに日本語で通すとママと話す時は日本語、パパと話す時は英語に自動的切り替わるようになるらしい。

バイリンガルに関する本はいっぱい見かけるが、トリリンガルに関しての本はなかなか見当たらない。そんな中がんばって探して注文した本がかなりよかったのでお勧め。北 村 崇郎さんと奥様の光代さんが日本に住みながら英語とスペイン語を息子に教える実践記録「ヒロシ、君に英語とスペイン語をあげるよ」。お二人は語学の教員なので、ヒロシ君の言語の教育に関してかなり厳しくしつけられたようだ。パスにもこの本を参考にして実践できそうなことはやってみるつもりである。

しかし驚くのは集団生活内で覚える言葉の早さ。パは週に2回しか託児所にいってないわりにたくさんのオランダ語を知っている。「イヤイヤ」はまずオランダ語で覚えた。きっと他の反抗期にはいっている子供から習ったのであろう。他に集団生活で必要な用語「どうぞ」や「食べ物」など、そして動物の名前もオランダ語で言われても理解できるはずだ。なのでオランダ語に関しては学校がはじまる4歳からでも十分間に合うし、2歳半からは遊びのグループにも定期的に通わす予定なのであせってはいない。

パスリンのボキャブラリーは動物や乗り物の鳴き声や音をまねする事からはじまったが、だんだんその名前を覚えるようになって増えていった。いまでは私たちが動物の名前を言うと泣きまねや物まねをしてくれる。それをいろんな人に披露してくれるのでそれもかわいい〜♡ ウサギの時は飛び跳ねて象の時は鼻から手を伸ばして「(ぱ)お〜ん」と言い、ライオンの時は片手をあげて「ガ〜」と言う。そしてスカンクの時は鼻をつまんで「い〜う」(英語で臭い時の表現)、、、こんなのを覚えさせたのはもちろんパパ。

他にもおもしろいパスカル用語はいっぱいある。

motorcycle= も・の・の

fire engine, police car = ぴーぴーぴーぴー

helicopter= あ・ぴ・ち

peanut butter= ぴ → ぴやぱ〜

電気のスイッチをつけること= ぴ

食べ物がなくなったとき= あぷ(オランダ語)、ない〜

bicycle= が・が・が → ば〜ちこ

Pascal= ぱ〜ち

乾杯= きゃっぱ〜

ごちそうさま= ま〜

見ること= みんみ〜

パスカリンは気に入った音の言葉を関係なく続けて言うのがたのしいようで、今の流行は「ぴやぱ〜」(ピーナッツバター)である。興奮するとこれを大声で叫びながら何回も繰り返す。

臨月

今週から臨月にはいる。臨月だからと言うよりオランダの学校との2度目のオープニングが終わった時点でなんだか急に超妊婦になった。

プロジェクトをやっている時ははしごに乗って2日間缶詰制作とかマテリアルの買い出しのはしごとかできたのに、今では血圧が低いせいで動きが鈍いうえにいつも眠くて食欲不振+腰と足の付け根の痛み。1回目の妊娠の時はこれらの症状が早い時期からバラバラと出はじめたのだが2回目はいっきにやってきた。多分プロジェクトが終わった時点で気が抜けて体に負担が一気にかかったのだろう。この時期にNo2のための準備をしようと思っていたのに買物に出るのもパスカル付きなので大仕事である。

1回目に比べて2回目の妊娠中はサイクリングも32週までできたし体の動きも変わりがなかった。つわりも特になく、体重管理しなくても自然に標準妊婦の体重まで増えた。お腹は1回目と同じくらい小さめだが、Pも4kgくらいあったので気にしないことにしている。今は歩く方が大変なので普通の自転車やバックフィッツは最後まで乗る気でいる、、、これらで赤ちゃんが生まれる前日まで移動できるのでありがたいことだ。

よく子供は兄弟が出来ることを感じるというが、パスカルの場合は教えられてなんとか理解している感じ。Babyという言葉を覚えた時に私のお腹をさしてBabyと何回も言って聞かせてみたが、赤ちゃんがでてきたらなんで私がお腹をBabyと言っていたか理解できるんじゃないかな。

このベビさんは今もよく動くのでまだ下がってきていない様子。もう数週間のうちにパスカルとの絆を深めておこう。

お手伝いしてるつもりのP

opening with the school

We had an opening with the Alphons Laudy school on Tuesday 13th of April. I cooked Japanese sweets, Hanami Dango and Sakura mochi, in the morning then the opening started in the afternoon. After the cooking I run to the Glazenhuis to clean and prepare for 70 school children (sounds a lot but the Glazenhuis was big enough to contain them)

Started with a speech by principal and Mariette (art teacher) followed by a project by Ienke Kastelein and a performance by Martin. Some snacks and Japanese sweets in between. It was clearly fun for them.

I will be showing my work in a group show called “Mirror Me” initiated and organized by Stichting ZET. This exhibition is a collaboration with the Alphons Laudy School VSO. Children from the school will express the concept of “Spring” in art works inspired by my workshop about Japanese culture and customs.

The opening is on 11th April Sunday from 15:00~ at Het Glazenhuis in Amsterlpark.
There will also be a small concert at the opening by Ayumi Matsuda and Yvonne Rietbergen from the Black Intention flute trio.
Please come and join us at Het Glazenhuis.

Older Posts »