Pia 怜 Cutler誕生!

2010年5月28日13時56分、 3770gの大きめの女の子Piaがアムステルダムのセントルカス病院で生まれた。クリクリの髪の毛と更に高い鼻以外は兄のパスカルにそっくり!左目の上にある痣さえ同じだ。ただパスカルのお古の水色の洋服着せても女の子に見えるところがやっぱり女の子。

Piaがこの世に誕生して1週間たつが、彼女はよく飲み、よく眠りのリズムが出来上がってきている。あんまり良く寝るので時々息をしているか確かめるくらい。。。1日50g増えながら着々とこの世に順応している。

Piaの出産は予定より8日遅れた。理由はしらないが日本では2番目は早く生まれるというから、自分の誕生日(5月11日)前から同じ誕生日にならないかとそわそわしていていたので、5月20日の予定より8日遅れただけなのにすごく待たされた気がする。特に母親が予定日前から来ていたので、予定日を過ぎると母親が帰る前に生まれるんだろうかという心配がでてきた。しかしオランダでは初めの出産が遅れると2番目も遅れるといわれているらしい。というのは、お腹で胎児が十分育つのにそれだけ時間がかかるということなので、1回目も2回目も同じくらいの日数かかるということらしい。

なので予定日を過ぎてからの検診の時にすぐに病院で胎盤の検査をするようにお願いした。ミッドワイフも母親がもうすぐ帰るというあせりを理解してくれてその日に病院に行けるようアレンジしてくれた。なんでも待たされるオランダでこんなに早く予約が取れたのは日本人経営の美容室の予約以外はじめてかも(笑)病院では時間通りについてもかなり待たされて(やっぱり、、)胎児の心音チェックを1時間もして、その後に医者に診察してもらった。初めての内診もうけて、子宮口が3、4cm開いていて子宮も十分柔らかくなっているので、お母さんに赤ちゃんを見せたいなら明日ミッドワイフに破水してもらいましょうということで話がついた。

診察が終わってからしばらくは内診のために陣痛のようないたみが続いた。行きはバックフィッツ(箱付き自転車)の後部座席に座ってヘンリーと二人乗りしてきたのだが、帰りは振動の少ない箱の中に座って帰ってきた。しかし寝る前には痛みが消えていたのでちょっとがっかりしてしまった。

今では兄になったパスカルにもいろいろあった。まず初めての水疱瘡にかかった。多分母がアムステルダムに到着した頃にすでに感染していたのであろう、次の週にお腹にぷつぷつが現れはじめ、その週に行ったの託児所では子供全員が水疱瘡になっていたので、私たちもやっとパスカルのぷつぷつが何なのかがわかったのだった。水疱瘡ははやくかかる程症状が軽くですむのでオランダでは水疱瘡を軽い病気のようにとらえていて、元気であれば託児所につれていくようだ。なので託児所の子供全員水疱瘡になるようなことがおこるわけだけど、水疱瘡の子供を託児に預けるなんて日本では考えられないことだ。水疱瘡の予防注射をするところだってあるくらいなのに、オランダってその辺超ナチュラル思考。

私たちが心音をチェックしに病院に行った日パスカルは水疱瘡の絶頂期だったので、託児所を休んで母と家でおとなしく過ごしていた。その夜パスカルは熱のせいで寝られなかったようで、私もヘンリーもねむることができなかった。なので破水するのをもう一日待った方がいいだろうと朝話していたところ、9時頃から陣痛のような痛みが定期的に感じられるようになった。10時に時間をはかってみたところ、きっちり7分ごとに陣痛がきている。すぐにミッドワイフに電話して指示をあおぐ。暖かいシャワーをあびて陣痛が早くなるか遅くなるか様子を見るように言われる。20分かけてシャワーを浴び時間をはかったところすでに3分おきになっている。あわてて遊びに出ているパスカルとヘンリーを呼び寄せて、パスカル用のDVDをセットしたり母に留守中の注意ごとを説明をしてタクシーを呼ぶ。パスカルにばれないようにそっと家を出てゆっくり3F分の階段を下りきったところでタクシー到着。病院に着いたのは12時半だった。

病院で出産といっても、病院の中にある出産センターの中の部屋を借りてミッドワイフの指示をうけながら出産するわけである。もし医療が必要な状況になったらすぐに医者と交代すると言う仕組みである。パスカルの時は羊水が汚れていたので医者の指示の下で出産となったが、今回人工破水で羊水も透明だったのでそのままミッドワイフが出産をみることになった。破水の後しばらくして暖かい風呂に入るように勧められる。風呂につかってるとすぐに痛みがいきみの痛みにかわってきたので風呂から出ていきむことになった。陣痛の波をみながら2、3回いきんでみてこれはすぐに出てきそうだと感じた。陣痛を待っている間、目をとじていると睡魔に襲われそうになり、痛みもないので非常に心地よく、たった3分くらいだけど至福の時を味わった。その後の2、3回の陣痛が弱かったのでいきむのをやめた。

多分5回目のいきみのとき頭がするっとでてきた。さらにいきむようにいわれて続けて3回くらいいきんだところつるっとでてきて、次の瞬間には赤ちゃんがお腹の上にのせられていた。黒いふさふさの髪の毛はパスカルとおなじだったので私たちは驚かなかったが、ミッドワイフやヘルプの人達にはめずらしかったようだ。胎盤もすぐでてきてミッドワイフが広げながら見せてくれた。いつでも捨てれるから写真を撮っとくようにいわれたので一応撮っておいた。赤ちゃんの名前は2週間前から本気で考えていたがいい名前が見つからず、私が絞り出すように考えた名前PIAにほぼ決定していた。病院から軽い食事とシャンペンとオランダのお祝いのビスケット(Beschuit)に女の子用のピンク色のアニスの砂糖がけ(muisjes)をのせた物を食べる。お腹がすいていたのでいつも嫌っていたmuisjesも美味しく感じた。

3時間ほど横になって休んでシャワーも浴び、着替えて帰ろうとして動いたとき大量の出血があり、洋服が汚れてしまったのでヘルプの人を呼んでまた着替えることになった。だけど動く度に出血があり今度は息苦しくなってきたので出血の量を測ることになった。その結果2ℓの出血ということで普通より多いから病院の方に移って検査することになった。周りがざわざわと急ぎながら私の乗っているベットを移動する。私はぼ〜っとしながらなんでこんなに緊急事態みたいに運ばれるのか不安になっていた。着いた第一の部屋で点滴されたり尿道に管をつけられたりお腹をおされたりエコーを撮られたりする最中、看護婦の一人が「手術」と言ったのですかさず何の手術なのか聞き出した。どうやら胎盤の一部がまだ体内に残っているのでそれを取る手術で、切らないし麻酔をするから痛くないということだった。が、その手術の準備で子宮に管をつけられる時点で麻酔なしで手術されてるくらい痛かったが。。。第二の部屋の手術室では皆テキパキと手術の準備をしており、私だけが不安で半泣きになっていたが、麻酔を3回吸い込んだ時点で記憶が消えた。手術が終わって起きて時間をみると20分しか経ってなかった。

やっとヘンリーとぴあの待つ部屋に帰ってきてほっとした。ぴあはヘンリーの胸の上でよく眠っていた。その日ヘンリーは夜中に家に帰らされ、私とぴあは病院に2日間残って安静にしていた。病院生活は最悪、、、看護婦が2時間おきにきてぴあの様子をチェックしにくるから落ち着かないし、私は体勢が悪くてほとんど眠れなかった。食事もこんなんだし。

翌日母とパスカル、ヘンリーが病院に来てご飯を持ってきてくれたのは本当にありがたかった。

2日後の日曜日にやっと退院し家に帰る。私は階段を上ると動悸が激しくなるが痛みも少なく至って健康だった。パスカルはまだ水疱瘡で顔が水玉だったのでぴあに触らせてあげれなかったが、遠くから眺めながら「ベイビーぴあ」と何回も言っていた。

前回の出産もそう感じたが、今回も病院で出産して本当に良かったと思った。この事態が自宅出産中に起こっていたらはしご車と救急車で病院に運ばれることになっていただろう。。。病院の先生にも次に出産する時には必ず病院で生むようにと勧められたが、言われなくても絶対そうすると思ったのだった。

出産は簡単だったけど子供2人との生活は予想以上に大変だ。産後1週間でヘンリーは仕事に戻らないといけないのでぴあを胸に縛り付けてだだっ子になっているパスカルの面倒をみているが、すっと家に籠っているわけにもいかないのでしかたなく産後11日目で自転車にのってお出かけした。。。私も相当オランダ人化したようだ。

皆に送ったe-mail用のイメージ。I amsterdamという市のキャッチフレーズをコピって I amsterdammertje(私はアムステルダムッ子)に言い換えたもの。赤いタオルはアムス市からの贈り物。

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