イン/アウト作品シリーズ 日本語

『最近の私の作品はすべて、二つの対比する言葉「内側」と「外側」という観念から派生するコンセプトの延長である。「内側」と「外側」とは社会生活中で感じる自己との他者との距離や違いの境目である。それは目に見えるものではなく、ムードや環境によって境目は近寄ってきたり遠ざかったりする。内側にいる時はただ自分一人との対面であり、不安やアイデンティティーと向き合うこととなる。一方外側にいる時は孤独との戦いである。しかし私たちは普段一人になる、すなわち自分自身に向き合うことが非常に少ない。インターネットや電話回線の普及により安価かつ常時コミュニケーションがとれるため現代社会では一人になれる瞬間はないのである。一方、現代では世界共通に若者が社会の中でのコミュニケーションを拒み、バーチャルなコミュニケーションにより本来の孤独を感じることなく生活している。今や外側の世界は犯罪や戦争や人殺しにより彼らの魅力を失ってしまったのかもしれない。

私はこのようなバックグラウンドの日本というホームカントリーを離れてしまった事が大きく作品に影響していると思われる。アイデンティティーへの危機感や疑問、孤独を感じる時間があまりすぎるほどあったのである。
例えば「house/home」と題した最新のパフォーマンスは家の内側と外側の境目を表現した。白い典型的な「家」の形をしたエアーバルーンの中に最小限の生活用品をもって籠る。家の中に居る時は外側が見えず、人気も感じないほど薄い布で遮断されている。家には明かりが灯っており外部に人影とほのかな生活感をみせるが、その家は5分後には文字通り崩壊し、家の中の物は真空パック状態になる。外側の人は平たくなったアーティストとオブジェクトを見下げる事になる。そしてまた家が建つ。これを繰り返す事によって個人とそれを囲む家との関係、緊張した境目、「ホーム」と思われる家の状態、ただ機能的な意味での「ハウス」との違いを表現しているのである。

このようにいろいろな社会的な場面で自己の存在を確認するべく、内側と外側の性質をもつ社会的な場面にプロジェクトごとに焦点を置き、自己の喪失感や不在感への不安を主にパフォーマンスやビデオで表現している。私の作品に一貫する表現はミニマルで単刀直入なことであり、そのために作品が無色、無音、無背景であることが多い。そして他の特徴としては「一人になる為」の作品をパブリックスペースに設定し人々に体験してもらうということである。』

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