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HNY_2016

あけまして おめでとうございます

2016年のはじまりにオランダの海岸に寒中水泳を観に行きました。

自分たちはとても参加する気にはなれませんでしたが

気合いをいれて海に飛び込むオランダ人親子をみて

近い将来参加するのもいいなと思いました。

 

 

 

 

いつもゆっくりペースの私ですが、今年は「猿のように素早く行動」を目標にがんばります。

このサイトのデザインも新しくかえて、BlogはDiaryで見れるようにしました。アート作品やその他の活動も

このサイトで全部みれるようにリンクさせました。

これからも宜しくお願い致します。

稲留京子

 

 

 

2015

snowcard2015-final1

今年も1月1日に年賀メールの作業に追われ、3日になってやっとこのBlogにアップ。Blogを更新する事も少なくなり去年のポストも1ページですべて表示できるくらいになってしまい、、、。

2014年は教育に関するワークショップに参加したり本を読んだりオランダ語の勉強に時間を費やしたり、 自分の一番感心ある事の為の勉強を子育ての合間にがんばった。まだまだ学ぶことはいっぱいあるけど、そのリズムができたのは大きな発展だ。

皆様の2015年も楽しくクリエイティブである事をお祈りしています。

*今年の新年のカードデザインは親子でハマった「Frozen」がテーマです。

osechi1

おせちの盛りつけが多少上手になったのとP2も少しおせちを食べてくれたのは大進歩!

Gelukkig Nieuwjaar

あけましておめでとうございます

昨年は皆様にとってどのような年でしたか?私自身は風邪をひいて長いこと調子が悪かったり眠れなかったりイライラしたり、あまり調子の良い年ではありませんでした。年の後半に一人で日本に一時帰国をしたことでいろいろ自覚するきっかけができたので、健康でいること、ポジティブに考えること、運動することをキーワードに2014年を過ごそうと思います。

皆様も健康で楽しくよりクリエイティブな2014年になりますように。

happynewyear-2014 (1)

osechi-2014

欲しかった食材が手に入らないのと買い物の時間も限られていたので、御節っぽい普段食でお祝いしてみた。子ども達は朝からこのようなご飯を食べるのに慣れていないのでP2はいつものヨーグルトやパンを欲しがって全く手をつけなかったけど、P1は喜んでいた。もう少し盛りつけの勉強をしたいところ。

P1のお仕事が終わるまで

新学期が始まって落ち着いた頃、登録していたP1のモデルエージェンシーから連絡があり某家具メーカーのコマーシャルのオーディションがあるというので、都合もつくしパパが連れて行く事になった。だいたいこういう連絡は必ず急に入って来る。オーディションの1週間前にメールで募集して、オーディションの時間10分前に電話で「脚本が変わって3歳以下の子どもを撮影する事になったから来なくていい」ってキャンセルされるし!!パパはたまたま休みの日だったけど、わざわざ休みをとった上に向こうからキャンセルしてたらどれだけ憤慨してただろう。しかしP1は年齢の割に小さいということでオーディションには結局参加して帰ってきた。

オーディションの様子を聞いたところ、1回目は親がいると子どもの気がちるということでパパから離され悲しいP1を椅子に座らせて、別のパパと一緒にテーブルで座っているところを撮ったらしい。全くやる気の出なかったP1は下を向いていたらしい。泣かなかっただけまし。しかし帰ろうとするところを次の子役が来なかったかなにかで、2回目の撮影をすることになった。今度のパパはコメディアンばりに面白かったらしく、P1は段ボールをかぶってふざけるくらい盛り上がったらしい。この撮影の時はP1のパパもカメラの後ろで見る事ができたらしい。私は今回の撮影を全く見ることができなかったのだが、パパから聞いたP1の様子が手に取るようにわかった。P1が最後にモデルをしたのは1歳半の頃。当時は歩く&よじ登るのが楽しい時期に寝転がってのフォトシューティング。じっとできないP1をなんとかシャボン玉でつって寝かせたが、写真なので瞬間じっとできればどうにかなる。それにPhotoshopで上手に修正できてしまうからどうにかなった。だけど今回はフィルムなのでP1がどこまでやる気になるか、そして嫌で泣いたりしないかかなり心配だった。

1回目のP1の撮影の様子を見て戦法を変えたのか、次はエージェンシーから「P1がリラックスできるようにP1の友達を連れてきてほしい」というリクエストがあった。私としてはなぜ私たちが子どもを集めないといけないのか?と思いつつも、P1が楽しむだろうからとクラスメイトを2人連れていくことにした。P1の友達の親達も撮影所までついて来るのをアレンジするのが大変だっただろうに、兄弟連れでもきてくれた。友達が3人も集まると皆撮影所ではしゃぎまくり、子ども達は楽しんでオーディションを終えたらしい。でもこの撮影の時もその後も全くP1が選ばれたという連絡はなかった。

撮影の1週間前だろうか、エージェンシーからメールでP1ともう一人のクラスメイトが撮影に選ばれたという連絡をもらった。そしてその日からは毎日エージェンシーと細かい連絡をとる。クラスメイトの親は共働きなので昼間の連絡が大変だったらしい。撮影の場所が言い渡されたのは3日前くらいだった。

撮影の日、この日までにP1に仕事とはどういうもので仕事をすると報酬がもらえる(から君の好きなおもちゃが買える)ものだと言い聞かせていた。撮影が仕事だと言う感覚がないP1には、彼の世界のもので説明するしかなかった。毎日撮影に対してネガティブになったりポジティブになったりを繰り返したP1だが、当日はパパに連れられてP2と楽しそうに出かけていった。普段の学校より早く出かけ、そして夕方になってようやく帰ってきたP1は買ってもらったおもちゃに興奮していた。

のちに様子を聞くと、待ち時間が長かったためもって行ったDVDが皆の役に立ったこと、衣装が気に入らなくてネガティブになったこと、おなかが空きすぎて子ども達が動けなくなったこと、など大変な面はあったけど子ども達はふざけたり、バックフィッツによじ登って遊んだり、楽しい時も過ごしたようだ。撮影の様子を写真に撮ったが公表してはいけないお約束なのでここに掲示できないが、子ども達が待ち時間に遊んでいる様子がうかがえる。

その1ヶ月後、撮影の結果がこれ。撮影がどんなものか全く知らずにちゃんと参加しただけでも立派だと親は思うのだが、P1が絵の具を手につけて喜んでいる姿は私にも想像できなかったこと。(逆に嫌がるかとおもったので)少しずつ予想のできない結果を見せてくれるようになったP1、これが成長なんだな〜(涙)子ども達よくがんばったね!

これはIKEAの「解決を見つけようとすると可能性は無限」という新しいプロモーションの為のTVコマーシャルシリーズの一つ。パパが子どもを面倒みる日(Papadag)の提案で、託児所のコストが上昇する中IKEAの商品で玄関から入ってすぐ託児所のようになり、自分の子どもだけでなく近所の子ども達も集めて自宅を託児所のようにする解決策もあるよという内容。オランダのみの放映。このコマーシャルに対する意見は賛否両論。

新しいブログ始めました Kyoko Kinder Kunst Klas

オランダでの生活や育児とアートのポストを一緒のブログに書いていたので、新しくアート関係のみのブログをスタートしました。

www.kyokokinderkunstklas.wordpress.com

Kinderkunstklasとは「子どもアートクラス」という意味のオランダ語です。こちらでは主にアムステルダムの親子造形教室やオランダ式の誕生日のプレゼントアイデア、家で工作する時のアイデア、子どもとアートなどについて英語で綴っていきます。こちらもよろしくお願いしますね☆

2013 Happy New Year

あけましておめでとうございます。

クリスマス、年末と私自身が風邪をひきP2も熱をだして調子が悪かったのですが、風邪もなおりつつありP2に笑顔がみえはじめました。健康であることがどれだけ大事か毎年実感しています。幸いP1は病気もせず一人でも元気に遊んでくれたことで家族皆が救われました。今年皆様が健康で笑顔のある年である事をお祈りしています。

お雑煮を食べてお餅を飾って少しだけ日本のお正月をしました。

2012

СВЕТИ ГЕОРГИWe didn’t have a good start for the new year…I hadn’t been healthy and H had a terrible headache from ear infection and P2 had been crying so much. We were so tired of being sick. We are fine after going to a doctor to get medicine and some advice for P2.

But it doesn’t mean 2012 is going to be a difficult year. We learn from the experience so the same things will never happen!

Peace and many smiles for everyone!

Donation to Japan

Today we have transferred the donation to Japan. We managed to raise 4606.05 euro donation by organizing a Live Aid charity event in Amsterdam. We managed to realize this event in two weeks thanks to a lot of support from friends and organizations. Many thanks to Mediamatic who offered us to use their space! We hope to continue working to support our families and friends in Japan. 30 March 2011

今日義援金を日本に送金しました。アムステルダムでライブエイドチャリティーイベントを行い4606、05ユーロの義援金を集めることができました。たった2週間でこのイベントを立ち上げる事ができたのもたくさんの友達や団体からのサポートがあったからです。場所を提供してくれたMediamaticには本当に感謝しております。これからも日本にいる友人、家族をサポートする為に活動を続けたいと思っています。2011年3月30日

 

2011

Happy New Year

明けましておめでとうございます

Gelukkig Nieuw Jaar

2010年に+1のピアが生まれてから賑やかに生活しています。子供の成長はすごいです。ぐんぐん大きくなってどんどん世界を吸収していきます。子供の世話の慌ただしさで忘れがちですが、私もこのように日々新しい事を習う生活を心がけたいものです。皆様今年も家族共々宜しくお願いいたします。

毎年年賀メールの作成がギリギリです。今年のものは12月31日夜に作って新年になってすぐ皆に送ったという始末。ヘンリーは時間がないのでデザインはだいたい私が考えてフォトショします。子供が出来てから子供をネタにできるのでちょっと楽です。

Pia 怜 Cutler誕生!

2010年5月28日13時56分、 3770gの大きめの女の子Piaがアムステルダムのセントルカス病院で生まれた。クリクリの髪の毛と更に高い鼻以外は兄のパスカルにそっくり!左目の上にある痣さえ同じだ。ただパスカルのお古の水色の洋服着せても女の子に見えるところがやっぱり女の子。

Piaがこの世に誕生して1週間たつが、彼女はよく飲み、よく眠りのリズムが出来上がってきている。あんまり良く寝るので時々息をしているか確かめるくらい。。。1日50g増えながら着々とこの世に順応している。

Piaの出産は予定より8日遅れた。理由はしらないが日本では2番目は早く生まれるというから、自分の誕生日(5月11日)前から同じ誕生日にならないかとそわそわしていていたので、5月20日の予定より8日遅れただけなのにすごく待たされた気がする。特に母親が予定日前から来ていたので、予定日を過ぎると母親が帰る前に生まれるんだろうかという心配がでてきた。しかしオランダでは初めの出産が遅れると2番目も遅れるといわれているらしい。というのは、お腹で胎児が十分育つのにそれだけ時間がかかるということなので、1回目も2回目も同じくらいの日数かかるということらしい。

なので予定日を過ぎてからの検診の時にすぐに病院で胎盤の検査をするようにお願いした。ミッドワイフも母親がもうすぐ帰るというあせりを理解してくれてその日に病院に行けるようアレンジしてくれた。なんでも待たされるオランダでこんなに早く予約が取れたのは日本人経営の美容室の予約以外はじめてかも(笑)病院では時間通りについてもかなり待たされて(やっぱり、、)胎児の心音チェックを1時間もして、その後に医者に診察してもらった。初めての内診もうけて、子宮口が3、4cm開いていて子宮も十分柔らかくなっているので、お母さんに赤ちゃんを見せたいなら明日ミッドワイフに破水してもらいましょうということで話がついた。

診察が終わってからしばらくは内診のために陣痛のようないたみが続いた。行きはバックフィッツ(箱付き自転車)の後部座席に座ってヘンリーと二人乗りしてきたのだが、帰りは振動の少ない箱の中に座って帰ってきた。しかし寝る前には痛みが消えていたのでちょっとがっかりしてしまった。

今では兄になったパスカルにもいろいろあった。まず初めての水疱瘡にかかった。多分母がアムステルダムに到着した頃にすでに感染していたのであろう、次の週にお腹にぷつぷつが現れはじめ、その週に行ったの託児所では子供全員が水疱瘡になっていたので、私たちもやっとパスカルのぷつぷつが何なのかがわかったのだった。水疱瘡ははやくかかる程症状が軽くですむのでオランダでは水疱瘡を軽い病気のようにとらえていて、元気であれば託児所につれていくようだ。なので託児所の子供全員水疱瘡になるようなことがおこるわけだけど、水疱瘡の子供を託児に預けるなんて日本では考えられないことだ。水疱瘡の予防注射をするところだってあるくらいなのに、オランダってその辺超ナチュラル思考。

私たちが心音をチェックしに病院に行った日パスカルは水疱瘡の絶頂期だったので、託児所を休んで母と家でおとなしく過ごしていた。その夜パスカルは熱のせいで寝られなかったようで、私もヘンリーもねむることができなかった。なので破水するのをもう一日待った方がいいだろうと朝話していたところ、9時頃から陣痛のような痛みが定期的に感じられるようになった。10時に時間をはかってみたところ、きっちり7分ごとに陣痛がきている。すぐにミッドワイフに電話して指示をあおぐ。暖かいシャワーをあびて陣痛が早くなるか遅くなるか様子を見るように言われる。20分かけてシャワーを浴び時間をはかったところすでに3分おきになっている。あわてて遊びに出ているパスカルとヘンリーを呼び寄せて、パスカル用のDVDをセットしたり母に留守中の注意ごとを説明をしてタクシーを呼ぶ。パスカルにばれないようにそっと家を出てゆっくり3F分の階段を下りきったところでタクシー到着。病院に着いたのは12時半だった。

病院で出産といっても、病院の中にある出産センターの中の部屋を借りてミッドワイフの指示をうけながら出産するわけである。もし医療が必要な状況になったらすぐに医者と交代すると言う仕組みである。パスカルの時は羊水が汚れていたので医者の指示の下で出産となったが、今回人工破水で羊水も透明だったのでそのままミッドワイフが出産をみることになった。破水の後しばらくして暖かい風呂に入るように勧められる。風呂につかってるとすぐに痛みがいきみの痛みにかわってきたので風呂から出ていきむことになった。陣痛の波をみながら2、3回いきんでみてこれはすぐに出てきそうだと感じた。陣痛を待っている間、目をとじていると睡魔に襲われそうになり、痛みもないので非常に心地よく、たった3分くらいだけど至福の時を味わった。その後の2、3回の陣痛が弱かったのでいきむのをやめた。

多分5回目のいきみのとき頭がするっとでてきた。さらにいきむようにいわれて続けて3回くらいいきんだところつるっとでてきて、次の瞬間には赤ちゃんがお腹の上にのせられていた。黒いふさふさの髪の毛はパスカルとおなじだったので私たちは驚かなかったが、ミッドワイフやヘルプの人達にはめずらしかったようだ。胎盤もすぐでてきてミッドワイフが広げながら見せてくれた。いつでも捨てれるから写真を撮っとくようにいわれたので一応撮っておいた。赤ちゃんの名前は2週間前から本気で考えていたがいい名前が見つからず、私が絞り出すように考えた名前PIAにほぼ決定していた。病院から軽い食事とシャンペンとオランダのお祝いのビスケット(Beschuit)に女の子用のピンク色のアニスの砂糖がけ(muisjes)をのせた物を食べる。お腹がすいていたのでいつも嫌っていたmuisjesも美味しく感じた。

3時間ほど横になって休んでシャワーも浴び、着替えて帰ろうとして動いたとき大量の出血があり、洋服が汚れてしまったのでヘルプの人を呼んでまた着替えることになった。だけど動く度に出血があり今度は息苦しくなってきたので出血の量を測ることになった。その結果2ℓの出血ということで普通より多いから病院の方に移って検査することになった。周りがざわざわと急ぎながら私の乗っているベットを移動する。私はぼ〜っとしながらなんでこんなに緊急事態みたいに運ばれるのか不安になっていた。着いた第一の部屋で点滴されたり尿道に管をつけられたりお腹をおされたりエコーを撮られたりする最中、看護婦の一人が「手術」と言ったのですかさず何の手術なのか聞き出した。どうやら胎盤の一部がまだ体内に残っているのでそれを取る手術で、切らないし麻酔をするから痛くないということだった。が、その手術の準備で子宮に管をつけられる時点で麻酔なしで手術されてるくらい痛かったが。。。第二の部屋の手術室では皆テキパキと手術の準備をしており、私だけが不安で半泣きになっていたが、麻酔を3回吸い込んだ時点で記憶が消えた。手術が終わって起きて時間をみると20分しか経ってなかった。

やっとヘンリーとぴあの待つ部屋に帰ってきてほっとした。ぴあはヘンリーの胸の上でよく眠っていた。その日ヘンリーは夜中に家に帰らされ、私とぴあは病院に2日間残って安静にしていた。病院生活は最悪、、、看護婦が2時間おきにきてぴあの様子をチェックしにくるから落ち着かないし、私は体勢が悪くてほとんど眠れなかった。食事もこんなんだし。

翌日母とパスカル、ヘンリーが病院に来てご飯を持ってきてくれたのは本当にありがたかった。

2日後の日曜日にやっと退院し家に帰る。私は階段を上ると動悸が激しくなるが痛みも少なく至って健康だった。パスカルはまだ水疱瘡で顔が水玉だったのでぴあに触らせてあげれなかったが、遠くから眺めながら「ベイビーぴあ」と何回も言っていた。

前回の出産もそう感じたが、今回も病院で出産して本当に良かったと思った。この事態が自宅出産中に起こっていたらはしご車と救急車で病院に運ばれることになっていただろう。。。病院の先生にも次に出産する時には必ず病院で生むようにと勧められたが、言われなくても絶対そうすると思ったのだった。

出産は簡単だったけど子供2人との生活は予想以上に大変だ。産後1週間でヘンリーは仕事に戻らないといけないのでぴあを胸に縛り付けてだだっ子になっているパスカルの面倒をみているが、すっと家に籠っているわけにもいかないのでしかたなく産後11日目で自転車にのってお出かけした。。。私も相当オランダ人化したようだ。

皆に送ったe-mail用のイメージ。I amsterdamという市のキャッチフレーズをコピって I amsterdammertje(私はアムステルダムッ子)に言い換えたもの。赤いタオルはアムス市からの贈り物。