P2BP “P no.2 Birthday Party”

P2がとうとう1歳になった!この記念すべき1歳の誕生日の為に重い腰をあげてパーティーの準備をした。そんなに大勢の知り合い家族もいないのでP1の友達なども招待したが、結局10人の子供と各保護者という人数になり、まず家を片付けることとなった。前から気になっていたステレオアンプ(P2がボリュームを最大にするので)をP2の手の届かない高さにしないといけなかったし、自転車(P2が必ずオイルでベタベタのチェーンを触るので)も動かさなくてはいけなかった。時間もないので棚を買ってアンプを置けばいいのだけど、スペースが無駄になるといって結局ヘンリーが作ることになったが、天気の悪い日曜日の午後にさらりと作っていた。私はP1、P2も食べれて乳製品抜きの健康的なメニューを考えるのに時間をかけた。誕生日の前々日から夜な夜な料理しはじめ、当日は4時間休みなしのクッキング。最後ごろには疲れて家族に命令口調になっていたので、今度から料理もほどほどにしないと家族がかわいそうだ(笑) 当日2時からぞろぞろと友達が来てくれて、プレゼントはいらないと前もって言っていたのにP2にプレゼントを持ってきてくれた。P2はプレゼントを口に入れて楽しみ、もちろんラッピングペーパーまで楽しんでいた。そして同じ年頃の赤ちゃんともふれあって楽しそうにしていた。子供が増える度におもちゃや食べかすの散らばりが激しくなり面白かった。 そしてケーキの時間。今回のケーキはP2の大好きなカボチャでパンプキンパイを作り、サツマイモをクリーム代わりに絞り、たくさんのフルーツと食用スミレでデコレーション。歌は英語のバースデーソングとオランダのと。 つい最近拍手する事を覚え、歌を歌ってもらった後自分でパチパチして喜んでいるP2 P2の最近の変化はすごい。ハイハイが早くなってどこにいるかわからなくなるし、私の手をもって歩くようになったし、大きい声をだしてP1を泣かすこともあるし、ものを渡したりもらったりのインタラクションも誕生日当日にできるようになった。 兄弟だから似ているところが多いと思っていたが、兄弟でもこんなに違うものなのかとびっくりしている。性格は違うように感じるのは当然だろうが、身体的特徴や成長のしかたも違って人間って本当に面白い。私はこんな素敵な2人の子供の母親であることを嬉しく思う。 P1と一緒に砂遊びやブランコで遊べるようになった1歳 アトピーができて痒かった11ヶ月 人見知りが激しくてよく泣いていた10ヶ月 逆さまになるのが好きだった9ヶ月 はじめて従兄弟に会った6ヶ月 腹這いがきらいだった5ヶ月 生後100日 生後1ヶ月 ピアはこのように生まれました。

子供の成長

ピアが生まれて3週間がたった。彼女の生活は飲んで寝ることの繰り返しだけど寝る時はだっこでないと寝なくなった。パスカルもそうだったな〜と思い出しながら4kgくらいのピアをErgobaby の赤ちゃん用寝袋につつみ胸にくっつけながらパスカルに本を読んだり器用に料理をしたりしている。家ではヘンリーがパスカルを主に面倒見て私がピアの面倒をみているが、今週ヘンリーが出張で4日間家を空けるのでどうなることかヒヤヒヤしている。買物もヘンリーに頼むかパスカルが託児所の時に済ますのだが、重くて4日分の食材を一気に買えないのでどうやって買物するか考えものである。こんなときネットで食材を注文したりデリバリーを利用すればいいのにと思うのだが、こんな時こそ自分のやらないと気が済まないところもあるようだ。みんなしてるんだ、私もできるはず。 ヘンリーと手分けして子供の面倒をみていると客観的になるので子供の成長もよく見えて来る。兄のパスカルは赤ちゃん返りするどころか日に日にピアを受け入れているようだ。「う〜まっ」と言いながらパスカル得意の口を尖らせたキスをしてあげたり、出来上がったレゴの機関車を「ちゅーちゅートレ〜ン」と何回も言いながらみせてあげたり、頭をなでに何回も走りよってきたり。一人遊びも、一人であそばないといけないことが多くなったのでしかたなしに、長くなりいつもは「ぶっくう〜」と本を持って走ってきて私たちに読むようにせがむのだが、私が出来ないと言うと自分でページをめっくていることも多くなった。レゴでつくれるものの種類も多くなったし(トラックが主流だったのが飛行機、機関車、はしご車などもつくれるようになった)言葉も意識して教えたつもりでないものもいつの間にか覚えてるし、、兄弟ができると必然的に自立するのか、ただ私が忙しいから成長が早く思えるだけなのか。これだけははっきりしている:最近ピアばっかり抱っこしているからパスカルをだっこすると異常に重い気がしていたが、ヘンリーが測ったところパスカルは実際大きく重くなっているようだ。

Pia 怜 Cutler誕生!

2010年5月28日13時56分、 3770gの大きめの女の子Piaがアムステルダムのセントルカス病院で生まれた。クリクリの髪の毛と更に高い鼻以外は兄のパスカルにそっくり!左目の上にある痣さえ同じだ。ただパスカルのお古の水色の洋服着せても女の子に見えるところがやっぱり女の子。 Piaがこの世に誕生して1週間たつが、彼女はよく飲み、よく眠りのリズムが出来上がってきている。あんまり良く寝るので時々息をしているか確かめるくらい。。。1日50g増えながら着々とこの世に順応している。 Piaの出産は予定より8日遅れた。理由はしらないが日本では2番目は早く生まれるというから、自分の誕生日(5月11日)前から同じ誕生日にならないかとそわそわしていていたので、5月20日の予定より8日遅れただけなのにすごく待たされた気がする。特に母親が予定日前から来ていたので、予定日を過ぎると母親が帰る前に生まれるんだろうかという心配がでてきた。しかしオランダでは初めの出産が遅れると2番目も遅れるといわれているらしい。というのは、お腹で胎児が十分育つのにそれだけ時間がかかるということなので、1回目も2回目も同じくらいの日数かかるということらしい。 なので予定日を過ぎてからの検診の時にすぐに病院で胎盤の検査をするようにお願いした。ミッドワイフも母親がもうすぐ帰るというあせりを理解してくれてその日に病院に行けるようアレンジしてくれた。なんでも待たされるオランダでこんなに早く予約が取れたのは日本人経営の美容室の予約以外はじめてかも(笑)病院では時間通りについてもかなり待たされて(やっぱり、、)胎児の心音チェックを1時間もして、その後に医者に診察してもらった。初めての内診もうけて、子宮口が3、4cm開いていて子宮も十分柔らかくなっているので、お母さんに赤ちゃんを見せたいなら明日ミッドワイフに破水してもらいましょうということで話がついた。 診察が終わってからしばらくは内診のために陣痛のようないたみが続いた。行きはバックフィッツ(箱付き自転車)の後部座席に座ってヘンリーと二人乗りしてきたのだが、帰りは振動の少ない箱の中に座って帰ってきた。しかし寝る前には痛みが消えていたのでちょっとがっかりしてしまった。 今では兄になったパスカルにもいろいろあった。まず初めての水疱瘡にかかった。多分母がアムステルダムに到着した頃にすでに感染していたのであろう、次の週にお腹にぷつぷつが現れはじめ、その週に行ったの託児所では子供全員が水疱瘡になっていたので、私たちもやっとパスカルのぷつぷつが何なのかがわかったのだった。水疱瘡ははやくかかる程症状が軽くですむのでオランダでは水疱瘡を軽い病気のようにとらえていて、元気であれば託児所につれていくようだ。なので託児所の子供全員水疱瘡になるようなことがおこるわけだけど、水疱瘡の子供を託児に預けるなんて日本では考えられないことだ。水疱瘡の予防注射をするところだってあるくらいなのに、オランダってその辺超ナチュラル思考。 私たちが心音をチェックしに病院に行った日パスカルは水疱瘡の絶頂期だったので、託児所を休んで母と家でおとなしく過ごしていた。その夜パスカルは熱のせいで寝られなかったようで、私もヘンリーもねむることができなかった。なので破水するのをもう一日待った方がいいだろうと朝話していたところ、9時頃から陣痛のような痛みが定期的に感じられるようになった。10時に時間をはかってみたところ、きっちり7分ごとに陣痛がきている。すぐにミッドワイフに電話して指示をあおぐ。暖かいシャワーをあびて陣痛が早くなるか遅くなるか様子を見るように言われる。20分かけてシャワーを浴び時間をはかったところすでに3分おきになっている。あわてて遊びに出ているパスカルとヘンリーを呼び寄せて、パスカル用のDVDをセットしたり母に留守中の注意ごとを説明をしてタクシーを呼ぶ。パスカルにばれないようにそっと家を出てゆっくり3F分の階段を下りきったところでタクシー到着。病院に着いたのは12時半だった。 病院で出産といっても、病院の中にある出産センターの中の部屋を借りてミッドワイフの指示をうけながら出産するわけである。もし医療が必要な状況になったらすぐに医者と交代すると言う仕組みである。パスカルの時は羊水が汚れていたので医者の指示の下で出産となったが、今回人工破水で羊水も透明だったのでそのままミッドワイフが出産をみることになった。破水の後しばらくして暖かい風呂に入るように勧められる。風呂につかってるとすぐに痛みがいきみの痛みにかわってきたので風呂から出ていきむことになった。陣痛の波をみながら2、3回いきんでみてこれはすぐに出てきそうだと感じた。陣痛を待っている間、目をとじていると睡魔に襲われそうになり、痛みもないので非常に心地よく、たった3分くらいだけど至福の時を味わった。その後の2、3回の陣痛が弱かったのでいきむのをやめた。 多分5回目のいきみのとき頭がするっとでてきた。さらにいきむようにいわれて続けて3回くらいいきんだところつるっとでてきて、次の瞬間には赤ちゃんがお腹の上にのせられていた。黒いふさふさの髪の毛はパスカルとおなじだったので私たちは驚かなかったが、ミッドワイフやヘルプの人達にはめずらしかったようだ。胎盤もすぐでてきてミッドワイフが広げながら見せてくれた。いつでも捨てれるから写真を撮っとくようにいわれたので一応撮っておいた。赤ちゃんの名前は2週間前から本気で考えていたがいい名前が見つからず、私が絞り出すように考えた名前PIAにほぼ決定していた。病院から軽い食事とシャンペンとオランダのお祝いのビスケット(Beschuit)に女の子用のピンク色のアニスの砂糖がけ(muisjes)をのせた物を食べる。お腹がすいていたのでいつも嫌っていたmuisjesも美味しく感じた。 3時間ほど横になって休んでシャワーも浴び、着替えて帰ろうとして動いたとき大量の出血があり、洋服が汚れてしまったのでヘルプの人を呼んでまた着替えることになった。だけど動く度に出血があり今度は息苦しくなってきたので出血の量を測ることになった。その結果2ℓの出血ということで普通より多いから病院の方に移って検査することになった。周りがざわざわと急ぎながら私の乗っているベットを移動する。私はぼ〜っとしながらなんでこんなに緊急事態みたいに運ばれるのか不安になっていた。着いた第一の部屋で点滴されたり尿道に管をつけられたりお腹をおされたりエコーを撮られたりする最中、看護婦の一人が「手術」と言ったのですかさず何の手術なのか聞き出した。どうやら胎盤の一部がまだ体内に残っているのでそれを取る手術で、切らないし麻酔をするから痛くないということだった。が、その手術の準備で子宮に管をつけられる時点で麻酔なしで手術されてるくらい痛かったが。。。第二の部屋の手術室では皆テキパキと手術の準備をしており、私だけが不安で半泣きになっていたが、麻酔を3回吸い込んだ時点で記憶が消えた。手術が終わって起きて時間をみると20分しか経ってなかった。 やっとヘンリーとぴあの待つ部屋に帰ってきてほっとした。ぴあはヘンリーの胸の上でよく眠っていた。その日ヘンリーは夜中に家に帰らされ、私とぴあは病院に2日間残って安静にしていた。病院生活は最悪、、、看護婦が2時間おきにきてぴあの様子をチェックしにくるから落ち着かないし、私は体勢が悪くてほとんど眠れなかった。食事もこんなんだし。 翌日母とパスカル、ヘンリーが病院に来てご飯を持ってきてくれたのは本当にありがたかった。 2日後の日曜日にやっと退院し家に帰る。私は階段を上ると動悸が激しくなるが痛みも少なく至って健康だった。パスカルはまだ水疱瘡で顔が水玉だったのでぴあに触らせてあげれなかったが、遠くから眺めながら「ベイビーぴあ」と何回も言っていた。 前回の出産もそう感じたが、今回も病院で出産して本当に良かったと思った。この事態が自宅出産中に起こっていたらはしご車と救急車で病院に運ばれることになっていただろう。。。病院の先生にも次に出産する時には必ず病院で生むようにと勧められたが、言われなくても絶対そうすると思ったのだった。 出産は簡単だったけど子供2人との生活は予想以上に大変だ。産後1週間でヘンリーは仕事に戻らないといけないのでぴあを胸に縛り付けてだだっ子になっているパスカルの面倒をみているが、すっと家に籠っているわけにもいかないのでしかたなく産後11日目で自転車にのってお出かけした。。。私も相当オランダ人化したようだ。 皆に送ったe-mail用のイメージ。I amsterdamという市のキャッチフレーズをコピって I amsterdammertje(私はアムステルダムッ子)に言い換えたもの。赤いタオルはアムス市からの贈り物。

More babies

I’ve been working with a recorder trio Black Intention for a couple of years. Whenever it is possible to project videos I VJ at thair concerts. We had a concert in March in a big church in Amsterdam and played some new pieces. “Tres Dous Compains” is one of these new pieces (French 14th century […]

激しく製作中

プロジェクトを早く終わらせるよう計画して、自分で決めた産休がはじまった。体にも精神的にも臨月のストレスは良くないので何もしないようにするのが目的。ぼーっとしたり本を読んだりゆっくり家事をしたりしてすごしてきたけど、2、3日経つとなんかむずむず。時間をもてあましてしまっている。こんなにゆっくりした事がないので、どうしていいかわからないらしい。 それでいろんな人に手伝いのオファーをしたりもしてみた。でも妊婦だからできない作業だったり、急に入ってきたキャスティングの仕事も撮影と出産予定日が近いという事でうまくいかなかったり。 なのでヘンリーの仕事を手伝うといっているのだが、私に仕事を説明する時間がない(!)という事で仕事くれなかったり。 こんなときこそ赤ちゃん用品をじっくり選んで買えばいいんだけど、妊婦中いろんな仕事をキャンセルしたので金銭的な余裕が全くなし。今までに最小限の物しか準備できてない。 そんなこんなで仕方なく家にある材料で赤ちゃんものを手作りしはじめた。はじめは1、2個作って終わらせようと思っていたんだけど、作ってるうちに乗ってきて今ではがんがんに作っている。ベットのデコレーションから日よけカーテン、シーツ、タオルケット、よだれかけ、ズボン、モビール、ベットの周りの壁紙とか。 赤ちゃん物は小さいからすぐに作れるし、端切れ布を使って作れるので溜まってた布の処分にもちょうどいい。あとふかふかしたオルゴールをつくったら編み物にはしる予定。人はお金がない方が創造的になれるという一例。